プラットンはノッティンガム・フォレストのユース出身で、プロデビューを果たしてからフォレストで155試合にプレーしている。
イングランドU-21代表でも活躍し、2003年の1月の移籍期限最終日に£2.5(約5億円)で当時プレミアシップのサウザンプトンへ移籍した。
プラットンはユーティリティ・プレイヤーで、サウザンプトンでは中盤の全てのポジションの他、右サイドバックでもプレーした。
2002/03シーズンはサウザンプトンの中心としてプレーしたにもかかわらず、FAカップ決勝では、ノッティンガム・フォレストで選手登録をしていたため、プレーすることが出来なかった。
しかし、4ヶ月で12試合にプレーしており、当時監督であったゴードン・ストラカンにも良い印象を残した。2003/04シーズンにはサウザンプトンで30試合にプレーし、チャールトン戦で1ゴールを挙げた。
2004/05シーズンに入ると、28試合で2ゴールの活躍を見せていたが、2005年2月26日のアーセナル戦でロベール・ピレスに対する反則で重い罰則を受けた。
タックルによるレッドカードを提示された後、レフェリーを突き飛ばし、アシスタント・レフェリーに対して抗議したことで退場となり、不適切な暴言を吐いたとして更に罰則が科された。これによって10試合の出場停止となり、£6,000(約1,200万円)の罰金となった。
プラットンはシーズン最終日のマンチェスター・ユナイテッド戦に復帰したが、1−2で敗れ、サウザンプトンはプレミアシップからの降格が決定した。
2005/06シーズンでは9月にQPR戦で足の中骨を骨折することで始まり、シーズンを棒に振ってしまう。
プレーの機会が減ったプラットンは2007年1月に期限付きで古巣のノッティンガム・フォレストへ復帰した。
古巣に復帰したプラットンはフォレストがチャンピオンシップへの昇格を果たせば完全移籍も考えていた。しかし、プラットンがリーグワンのプレーオフ準決勝ヨーヴィル戦の第2回戦で退場処分となり、フォレストは昇格を果たすことが出来なかった。
プラットンはサウザンプトンから戦力外となり、自由契約選手として、リーズ・ユナイテッドのトライアルを受ける。
契約の無い状態のままプレシーズンをチームと過ごし、破産したクラブがフットボール・リーグから承認された8月に正式にリーズの一員となった。
2007年11月20日に契約を更改し、2009年夏まで契約を結んだ。
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