
僕は日本代表の試合が好きである。たまらなく好きである。
しかし、日本のサッカーが好きかと聞かれると、答えるのに少し時間が必要である。なぜなら日本のサッカーというものがどういうものであるか、すぐには浮かんでこないからである。
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別名“ゲルマン魂代表”といっていいほどその名前は
チームカラーとして定着しているドイツ代表
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いわゆるサッカー小国とよばれている国々を除けば、ほとんどの国がその国独自のサッカースタイルというものを持っている。例えばイタリアなら、カテナチオとよばれる堅い守備からの速攻を得意とするサッカー。スペインならばダイレクトパス、そして大きなサイドチェンジと個人技によるサイドアッタクをベースにしたダイナミックなサッカー。ドイツならば、堅実で強固な守備を基本に安定した試合運び、そして、ゲルマン魂という強い精神力による最後まで試合を諦めないサッカー。
とにかく、その国の名を聞いただけで、その国独自のスタイル、さらには得意とする基本的なフォーメーションすら頭に浮かんでくるのである。これがイングランド、フランスになっても話は同じである。
もちろんチーム作りをする時点での選手の質や量、試合展開において多少の変化はある。しかし根底の部分、つまりその国のスタイルというものに大きな揺らぎはないのである。
かたや日本のサッカーはどうだろう?"日本のサッカーはこうだ"、といえる人がいるであろうか。僕には無理である。
しかしこれは当然の話でもある。なぜなら、前出したサッカー大国にせよ数十年、いや国によっては百年以上という歴史の中で現在のスタイルを確立してきたわけであり、いくら急成長を遂げたといってもプロリーグができてまだ10年足らずの日本で、"そのスタイルとは何か"、と問うこと自体間違っているかもしれないからである。 しかし、だとすれば日本も暫くの時が経てばその独自のスタイルというものを確立できるのだろうか。僕は不安である。少なくとも今のやり方では。
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確かに斬新ではあった彼の戦術だが
日本人向けかどうかは別問題
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そこでまず初めに頭に浮かんでくるのが、継続性という問題である。
おそらく、よほどのことが起きない限り来年のワールドカップは現在のトルシエ体制で望むことになるだろう。しかし日本代表がよほどの好成績を来年のW杯で収めない限り、いや収めたとしても、トルシエ体制がW杯後に終了するのは間違いないと思う。そうすればまた新たな監督が就任し、日本代表のサッカーというものも再び大きく変わるのであろう。少なくとも、次の監督がフラット3というフォーメーションを採用するという保証はどこにもないのである。
今の日本サッカーが抱えている大きな問題はここにあるのではないかと思う。ある監督のもと、あるやり方でチーム作りに取り組み、それが巧くいかなかった場合、改善というものは当然必要である。また逆に巧くいったとしても、ある一定の期間が過ぎれば一度チームをリフレッシュさせる意味でもそれは必要である。しかし、日本代表が目指すサッカーというもの自体にある程度の継続性を持たせなければ、代表監督が変わる度にチーム作りが一からやり直されるというのは、不効率と思えて仕方がない。それでなくても代表チームの合同練習の時間というものは限られているのである。代表の中心選手を作るという面にも悪影響を及ぼし、良いところはないのではないだろうか。日本サッカー協会が現時点で日本の目指すサッカーがフラット3であると考え、このやり方をこれからも継続していこうと考えているのであれば問題は別ではあるが・・・。
誤解しないで欲しい。僕はトルシエ監督の手腕をあれこれ言うつもりはない。彼の過去の実績、つまり日本にやって来る前までの実績を見れば、それは素晴らしいものであるし、おそらく世界的には能力の高い監督としてランク付けされるであろう。彼がこれまでに培ってきた彼自身の理念のもと、理想と思う戦術とそれに見合う選手を選ぶことは当然のことである。
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ヤタカラス。将来の日本サッカーを
ずっと見届けることができるのは
こいつだけかもしれない
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率直に言ってしまえば、外国人監督ばかりに頼らざるを得ない今の日本のサッカー事情そのものに問題があると僕は思う。監督の人選問題で毎回四苦八苦している日本サッカー協会も、おそらく、できることなら日本代表の監督には日本人を、と考えているには違いない。しかし、現状を考えた場合それを任せられる人物が日本にはいないので、外国人監督に託すことになるのは現時点では致し方ない。
しかしこれは急場凌ぎの措置だという認識が必要である。これからの日本サッカーを考えれば、いつまでも彼らに頼ってばかりではいけない。そうでなければ、将来の日本のサッカーにはなんら継続性、一貫性のないものになってしまい、日本独自のスタイルの追求というものなど程遠いものになってしまうからである。外国人監督達の優れた部分を吸収しながら、同時に日本人のコーチングスタッフを育成し、長期的なスパンで継続性のあるチーム作り、そして将来的には日本人の監督とコーチによる代表チームをつくっていく、これがこれからの日本サッカーの目指すべきところではないだろうか。これがクラブチーム単位のレベルになっても、話は同じである。
もちろん日本サッカーのプロリーグとしての歴史はまだまだ浅い。いきなり多くのことを要求するのは酷な話であるかもしれない。しかし、何十年、または何百年先には何らかの形として形成されているはずの日本サッカーのスタイルというものが、理想的なものであるか、はたまた改善の余地多きものであるかは現在の努力次第なのである。
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“いいサッカー”から“勝てるサッカー”になれないメキシコ
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先日、イングランド中部のダービーで行われた、イングランド対メキシコの試合を観戦した。イングランドはホームとはいえ素晴らしいサッカーでメキシコを叩きのめした。
しかしイングランドの素晴らしサッカーに感動したのと同じくらい、僕はメキシコのサッカーにも感動を覚えた。そこにメキシコのサッカーがあったからである。
僕が見ているここ20年弱、彼らの基本的なサッカースタイルというものは変わりがない。それが良いか悪いかは別として、彼らは彼らのスタイルで正々堂々と戦い、敗れたのである。おそらく、彼らが近い将来ワールドカップで優勝するなどということは不可能に近いだろう。しかし彼らは、自分達のスタイルを変えるということはこれまで同様しないと思うし、ある意味できないと思う。なぜなら彼らはその長い歴史の中で今のスタイルにたどり着いたからである。たどり着き、そして今もがき苦しんでいるように思う。
日本はまだそのスタイルを模索できるポジションにいるだけ幸運なのかもしれない。
僕は日本代表の試合が好きである。たまらなく好きである。彼らの試合を見ているだけで幸せな気分になれる自分もいる。しかし、近い将来、日本独自と呼ばれるスタイルのもと活躍する日本代表チームを見ることが出来れば、もっと幸せであると思う。
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